1952年エバ・ドゥアルテ・デ・ペロンの死後、遺体は保存され慰霊碑の建設を待つ。1955年にアルゼンチンの政権を覆した軍部が、民衆の団結を恐れて遺体を隠す。エビータの遺体は軍部にとって生前よりも危険な存在となる。
エバ・ドゥアルテ・デ・ペロンの遺体の旅を描いた物語。1952年エビータの死後、慰霊碑で公開するために遺体に防腐処理が施される。1955年に軍部のクーデターによりペロン大統領が失脚。エビータの遺体が政権への反乱の象徴になることを恐れた軍部は、遺体を隠す。遺体は軍部にとって生前よりもさらに危険な存在となり、エビータは死後約20年にわたりアルゼンチンの政治に影響を及ぼす。